休憩中に発見

疲れたなーってだらだらと上記の方の日記を拝見。すっごく心に突き刺さる文章が書いてありました。うぅ...。勝手で申し訳ありませんが、掲載させていただきます。

生態系生態学研究でよくある「取ったは良いが、測ったは良いが、so what?」という、あってはならない問題にどう対処するのか。データを取るのに一生懸命で、気づいたら、データの解析に必要なデータが足りない、、、それが怖いからもっとデータを取るんだけど、さらにサポートするデータが欲しくなる、、、データ不足恐怖症。。。。自分の必要なレベル、なぜそれを測るのか、そういった疑問にしっかり答えるための道は、そう、ひたすらまずは先行研究を理解することしかない。先行研究で、何を問題にしていて、何が問題で、どこまで解決できていて、そして、これが最も重要だけれど、何が今後数年間で解けそうな問題なのか、何が今後数年間で問題になってくるべき、乗り越えないといけないポイントなのか、それを読みとるのだ。もうM2になるしね。そのためには、極論だけど、サンプリングをやめちゃうことだって、手なのだ。こわいけどね。。。

(中略)

話を戻すと、あえて言えば、読む本がある、読むべき論文がある状態なんて、ありがたいことなのだ。やるべきことは決まっているから。まなぶはまねぶ、であって、とにかくまねることをしっかりとすればいいから。まずはね。問題は、本当に読む論文が無くなるまで自分で努力して読み進めてゆけるか、そして、ほとんど読んでしまったときに、どんな問題意識と見通しをもてるか、だろう。本当に本当に本当に自分が目標とすべき、ライバルとすべき論文なんて、1つの研究テーマで5本くらいしかないはず。または世界で5人くらいしかないはず(と、D1の時にBrian Fryにいわれて、「その5人を抜けば良いんだよ」と諭され、ああ、確かにそんなもんかもなぁ、と思った)。

逆に言うと、読んでいない論文がいっぱいある、なんて状況は、特にどんな形であれ学問(専門知識)で食べていこうとする(ことが多いであろう)博士課程では、そんな状況考えられない、と言っても良いと思う。うわーきびしいー。でも、実際そうでしょ?修士の頃、武田先生は「学生は教官よりずっと時間もあるのに、教官より論文読んでないなんてあかんで」とおっしゃっていて、確かに一部そう思う。

(中略)

博士課程の人が「わからない」と言っているときは、彼彼女が分からない、のではなく、それは世界でまだ誰も分かっていない、と言うニュアンスのことが多いはず。そこまでゆかないと、something newを自信を持って、これはsomething newですと言えない。いえないってことは論文にならない、ってことだよね。

ここまで読んで感銘を受けました。やはりこの方の考え方は尊敬するなぁ。すごいなぁ。